世界経済(1)

世界恐慌って?

世界恐慌というのは、世界的な大規模で発生する経済恐慌のことです。世界的な大規模で発生するんですから、当然、世界恐慌が発生したその国だけではなく、関連する多くの国に恐慌が飛び火しますよね。世界的歴史の中で、とても重要で大規模な恐慌のことなんですが、なかでも1929年に起きた経済恐慌のことを「世界恐慌」と呼ぶことがあります。

1929年に起こった世界恐慌

1929年に起こった世界恐慌は有名ですよね。当時の世界経済についてお話します。1929年というのは、世界はまだ帝国主義の時代だったんです。帝国主義とは、一部の国が軍事力で他の国をどんどん植民地化していく考え方のことです。当時はアジアやアフリカの多くの国は、欧米列強の植民地となっていました。1914年に第一次世界大戦後が始まり、1918年に終了したのですが、この第一次世界大戦によって、ヨーロッパは荒れ果てました。その一方で国土が戦場にならなかったアメリカはどんどん繁栄していく一路をたどるんです。ヨーロッパ諸国はアメリカに多額の借金を払うこととなり、アメリカは債権国になります。そのおかげで、1920年代のアメリカは驚くほどの好景気を大満喫することになります。そんな好景気の中、人々は多くの消費生産を繰り返すんですが、そのうち過剰な生産や株価の高騰が進んでいきます。

恐慌の開始

世界恐慌が始まった日として歴史的に非常に有名な日があります。それは1929年10月24日の木曜日、俗に「暗黒の木曜日」と言われている日です。アメリカの「永遠の繁栄」をうたった共和党のフーヴァーがアメリカ合衆国大統領に就任した半年後の1929年10月24日、ニューヨーク株式取引所で空前の高騰をつづけていた株価が急落し、この「暗黒の木曜日」にいたるのです。株価は下落をつづけ、これをきっかけにアメリカ経済は大恐慌にみまわれました。この日に、アメリカのニューヨークで株価が大暴落してしまうわけです。そして、これが後に世界に大きな影響を与える1929年に起こった世界恐慌の始まりと言われています。ただこの下落について、軽く論じれない点があるんですよね~。まず1つには、10月24日には確かに株価は下がりましたが、その日だけの問題ではなかったということがあります。実際には翌週火曜の29日にも大きく下がったそうで、その後数年かけてピーク時の80%以上も下落したという長期的下落が、この世界恐慌の本質的な問題なんです。

恐慌の恐ろしさ

国民総生産、工業生産高、個人消費支出ともに、1929年と比較して1932年には60%にまで落ち込み、失業者は1929年の150万人から1933年には約1300万人に増加、4人に1人が失業者となったそうですよ。経営悪化と取り付け騒ぎで1930年からの3年間に5000行以上の銀行が破綻w(°o°)w900万人の預金が引出し不能になりました。ってこれすごいですね~。失業者は配給のパンをもらうために列をなし、農村では農作物価格が急落、輸送代さえ回収できないため農作物は打ち捨てられて、農民は困窮を極めていくんです。破産して小作農に転落する農民も続出したとか。好景気の反動って恐いですね。

1929年の世界恐慌はなぜ起こったのか?

世界恐慌が起こった原因については、今でも議論の対象となっています。問題は株価の下落だけではなく、同時に世界で起こった信用不安であると言われています。信用不安というのは、企業特に金融機関同士の信用がなくなり、資金が流通しなくなってしまう事態です。経済の血液とも言える資金が循環しないので、経済が動かなくなってしまうことになります。また、他の学者によれば、もちろん株価の下落・信用不安もあるけれど、それにより引き起こされた失業や貧困、貿易の悪化などもこの世界恐慌を引き起こした原因になっているのでは、と言っています。

一般的な世界恐慌原因説

色んな説はあれど、多くの学者が納得している一般的な仮説があります。それは、不景気というのは過剰生産に対して消費不足となり、そのことで引き起こされる、というもの。これは王道ですよね。素人でもわかるような、単純明快な説。ではなぜ、消費不足になったのかというと、さきほどもちらっとお話したとおり、企業や商品や世間に対する信用が大きく低下したことによって、消費・投資活動が急激に減少したということで、多くの学者さんは納得しているんだそう。不景気が始まり出すと、世間はパニックになるわけです。いままであんなに好景気を謳歌していたのに、いきなり暗雲がさしかかれば、みなさん避難しますよね?多くの人々は不景気が始まると、消費することから遠ざかり、自分はこれ以上損をしないように・・・と周りの様子を伺い、手堅くなるんです。

その他の世界恐慌原因説

他の世界恐慌原因説もありますよ。世界恐慌はごく普通の不景気として始まったのですが、その時の通貨当局による重大な政策のミスが金融引締めという結果を引き起こしてしまい、これによって経済状況が非常に極端に悪化したため、単なる不景気から世界恐慌に発展してしまった、という説です。要するにアメリカ政府が方向を見誤ったために、多くの人々が苦しめられた、という説なんです。

1929年の世界恐慌でとられた対策

いろいろ対策はありますが、ざっくりご説明します。1929年にはじまったアメリカの大恐慌は世界恐慌に発展したわけで、世界中に大きな影響を与えました。そこでアメリカではローズヴェルト大統領がニューディール政策によって恐慌克服をめざしたんです。自由主義経済を掲げているフーヴァー大統領は、景気の自動的回復機能に期待して積極的な不況対策を講じず、国民の信頼を失いました。そりゃそうですよね。なにか対策練ってちょうだいよって話ですよね。そこで、彼に代わって1932年の大統領選挙では、民主党のフランクリン=ローズヴェルトが「ニューディール政策」をかかげて当選しました。フランクリン=ローズヴェルトはニューヨーク州の名家出身で、26代大統領のセオドア=ローズヴェルトは彼の伯父さんです。海外に避暑地の別荘を持つ彼の家では、昔から暑い夏は別荘で過ごす・・・などと何不自由なく、彼もそんな中で成長し、20代で上院議員となり、第一次大戦時には海軍次官補、1920年には副大統領候補とエリートコースをまっしぐら。紆余曲折はあるにしても、そんな人物です。

ニューディール政策の始まり
1933年大統領に就任したローズヴェルトは最初の「百日議会」で次々と「ニューディール政策」実施のための法案を成立させていきました。主要なものとして全国産業復興法(NIRA)、農業調整法(AAA)、テネシー河流域開発公社(TVA)があります。全国産業復興法は、企業にカルテルを認める一方、企業活動に対する国家統制権をつよめて生産調整と価格安定を実施し、労働者には団結権、団体交渉権を認めることで購買力の向上をはかるものです。農業調整法では、農産物価格の安定のため農家に補償金をあたえて作付け制限をしました。テネシー河流域開発公社は、ダム建設や森林開発などテネシー河流域の総合開発を政府の公共事業として実施し、同時に失業者を雇用するもので、ニューディールの象徴的な事業となりました。またローズヴェルトは、ラジオ放送で国民に語りかけた初めての大統領でした。大統領就任一週間後のラジオで「もう銀行は潰れません、安心して下さい。」と話したあと、銀行への預け入れ額が引出し額を上まわるようになったと言います。みんな安心して預け入れたというわけです。すごいマインドコントロールですよね。さすがです。
社会改革にむかうニューディール政策
ニューディール製作で景気は回復にむかいはじめたんですが、失業者は1934年段階でまだ1000万人もいて、労働運動に対する企業の弾圧が激化するなどの問題が生じてきました。これに対して、1935年、ローズヴェルトは、失業保険や老齢年金などの社会保障制度をはじめて確立し、労働者の諸権利を保障したワグナー法を制定しました。労働者や一般大衆の要求にそったこれらの社会改革は保守勢力からは大きく批判されましたが、労働者大衆からは圧倒的に支持され、リンカン以来共和党を支持してきた黒人も民主党支持に回りました。1936年の大統領選挙でローズヴェルトは再選して、ニューディール政策は継続されましたが1937年にはまた不景気となり、財政支出による有効需要創出策とファシズム諸国に対抗するための軍備拡張によってようやく恐慌から脱出しました。政府による経済への介入・統制や社会政策はその後も資本主義諸国の経済政策に受け継がれていく政策となるんです。