日本経済(2)

昭和恐慌

昭和恐慌は昭和金融恐慌とは別物ですので、お気をつけください!!この昭和恐慌は、1929年にアメリカで起きた世界恐慌が影響して起こった日本の経済危機のことなんですね~。1930年にはじまって、翌年まで続いた恐慌です。まあ、数年続いたわけではないんですが、非常に日本の歴史において大きな出来事だったと言えます。悲しいもので、戦争景気ってあるんですよね。なので第一次世界大戦中は景気の良かった日本なんですが、第一次世界大戦後にヨーロッパの製品がアジア市場に戻ってくると、1920年には戦後恐慌が発生します。それが終わりかけたころ、1922年には銀行恐慌が始まって、1923年には関東大震災が起こって震災恐慌になってしまうわけです。この震災恐慌のときの震災手形が間違いの1つだったとも言われているんですね。悲しいかな・・・良かれと思った救済措置が第2の恐慌を引き起こす手伝いをしたとは・・・(TOT)

昭和恐慌の原因

原因は「金解禁」に向けた緊縮財政政策によって不況がやってきてしまったこと。そして「金解禁」による不況と世界恐慌の打撃を2重で受けてしまったこと。この2つを頭に入れながら、これから書いていく説明文を読んでみてください!!

昭和恐慌のに至るまで

昭和恐慌に至るまでの流れとして、第一次世界大戦中に欧米諸国や日本が金本位制を一時的に停止し、日本を除く国々がその後金本位制に復帰する一方で、日本が管理通貨制度を継続していたことが挙げられます。第一次世界大戦後、日本は「戦後恐慌」、「震災恐慌」、「金融恐慌」と立て続けに恐慌を経験しましたよね(; °°)この3つの恐慌の間、政府は紙幣を増発して経営危機に陥った金融機関の救済をしようをしていました。しかし・・・その結果、金融機関や企業の多くは経営基盤が弱りきってしまい、国際競争するまでの経済的パワーを失くしてしまったんですね。1929年に組閣した浜口雄幸内閣は、諸外国や財界からの金本位制復帰への圧力や要請に応えようとしたようですが、日本企業の多くは金本位制復帰に必要な国際競争に食い込めるだけの力がありませんでした。そこで浜口内閣は、財政を緊縮して物価の引き下げをおこない、産業の合理化を促進して日本企業の国際競争力の強化を試みたわけです。そして1930年1月には当時の日本経済の実力以上の円高水準で金本位制に復帰!!!!!これを「金解禁」といいます。しかし、1929年10月から世界恐慌が始まっていて、日本経済は金解禁による不況に加えて2重の打撃を受けることとなり、今まで以上に深刻な不況に陥ることとなるんです。これが「昭和恐慌」の全貌であります( ̄□ ̄;)

金本位制とは?
上記のなかで、金本位制という言葉が出てきますが、ちょっと解説しておきましょう。金本位制というのは、その国の貨幣価値を「金」によって決めるというもので、商品価格はその時の「金の価値」を基準に決められるシステムのことです。

旧平価でおこなわれた金解禁は大きな間違い!?

ちなみに、金解禁は、日本の旧平価でおこなわれたんですが、力をなくしている旧平価で金解禁をおこなったことも、とんでもない間違いだったとされているんです。旧平価は日本が不況に陥る前の平価(外貨と比べての価値)であり、それでの金解禁は事実上の円の切り上げ(円高)になってしまうわけなのです。円高では輸出には不利ですよね。これではせっかくの輸出活性策も意味がないことになりかねません。そのため、東洋経済新報社の高橋亀吉(たかはしかめきち)や石橋湛山(いしばしたんざん)らは新平価での解禁を主張したのですが、それでもこのときの蔵相・井上準之助は日本のメンツを最重要視し、旧平価での解禁を押し切ったわけなんです。当時、アメリカは空前の好景気で潤いに潤っていたこともあって、円が多少上がったところで、そんなに輸出に影響は出ないだろうと考えたらしいのです。

予想外の「正貨」大量流出

低コストによって輸出を拡大させようとした井上蔵相のねらいとは真逆で、対外輸出は勢いを増して減っていきました。そのいっぽうで金解禁のあと、日本国内から流出した正貨は大量で、金解禁後たった2か月たらずで約1億5,000万円もの正貨が流出したといいます。金解禁後、1930年だけを見ても2億8,800万円にものぼる流出額だそうで・・・。予想外の輸出激減と、予想外の正貨大量流出は、日本経済を悩ませることになるんです。翌年になっても、この事態は収まるどころか、加速していったわけで、狙いが思わぬ方向へ向かってしまったと言うわけです。

予想外の「正貨」大量流出の原因

金解禁当日、市場はこれを歓迎して、株価はとても上昇したんです。これは浜口内閣は嬉しい限りであり、鼻高々だったわけでありますね。浜口首相も井上蔵相も、当初は計算通りに行くと確信していたそう。しかしながら、頼りにしていたアメリカは、その時すでに「恐慌」に少しずつ近づいていたんです・・・。そして、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落し、株式取引所が大混乱に陥った、いわゆる「暗黒の木曜日」となり、日本にもその波が押し寄せました。日本でも生糸価格が暴落したのですが、そのうちに上がるだろうと高をくくっていたんですね。そのために浜口内閣は緊縮財政を押し進めて、国内産業振興に努め、金解禁に踏み切ったのです。しかしながら・・・アメリカでは連日続く大暴落のなか、「日本で金解禁が行われたそうだ」という嬉しいニュースが舞い込みます。恐慌が起これば、紙幣はゴミです。そうなる前に紙幣を「金」と交換しておいたほうがいいわけなんですね。アメリカの大手銀行が動き出します。日本から金貨を輸入しまくり(^^;)、他の銀行もこれに続いて日本から金貨を輸入しまくり・・・・・。このような背景から、金解禁後わずか2ヶ月で約1億5,000万円もの金貨が外国に流出したというわけです。この金額、今のお金に換算すると、約9兆6000億円!!!!!!!ひい~~~~( ̄□ ̄;)

なぜ輸出が減ったのか?

なぜ対外輸出が減っていったのかと言うと、輸出先の国々も世界恐慌のあおりを受けて経済が弱っていたからなんです。もう堂々巡りというか・・・・負のスパイラルというか・・・・(^^;)日本の生糸の輸出先はアメリカ、綿製品や各種雑貨については中国やその他のアジア諸国が輸出先でした。しかしながら、アメリカはもちろん世界恐慌の根源ですから不況ですし、中国やその他のアジア諸国も、特に世界恐慌のあおりおモロに受けている国々だったんですね。こういった状況のために、1930年3月には商品市場が大暴落して、農作物、鉄鋼、生糸などの物価が突如として激しく低下していったのです。

失業者の増大

対外輸出が減ったこと、そして正貨が大量流出したことで、株式市場の大暴落が発生します。さらには、株価や物価がみるみるうちに下落して、中小企業は倒産や操業短縮が次々とおこなわれ、失業者が増大しました。結局、失業者が増えるということは、日本国内でも物の売買がおこなわれにくくなるわけで、物流が滞れば、さらなる不況に陥っていきますよね。1930年中につぶれた会社は、なんと800社以上( ̄□ ̄;)減資した会社も300社以上( ̄□ ̄;)高学歴の若者も職にありつけない状況で、労働運動もだいぶさかんだった時期ですね。